ユニット活動期間 1995年-1997年。Urban Dance解散後、1986年頃からClub DJとして活動を始め、エレクトロポップやアシッドハウスを中心にかけていました。1991年10月にイタリアから帰国し、間も無く京都から上京。ローマでのDJ経験が刺激となり、オリジナルのハウスミュージックを制作したい気持ちが芽生えたからです。House Foundationという名前は、日本でハウスの土台となる存在を目標にしていたからです。試行錯誤しながら制作した作品はRemix Magazineの作品募集コーナーに送り、好意的に取り上げて頂きました。それらの作品を現King Street SoundsのHisa Ishioka氏が聴いてくれ、La Londe Ⅱに参加させて頂きました。都内のクラブでDJ活動やClub Yellowで何度かライブを行い、作品を作り続けました。そして1995年にPony Canyonより和田アキ子さんをヴォーカルに招いて''Free At Last''でデビューしました。当時、ソウルフルな女性ハウスシンガーは見当たりませんでした。そこで、和田アキ子さんにお願いし''Free At Last''を歌って頂ける事になりました。又、憧れのDJ Tony Humphries氏の自宅に招待して頂き、閉店してしまったClub Zanzibarを見せて頂いた事は最大の思い出です。